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芋けんぴ農場

自称芋けんぴソムリエが徒然なるままに感想や日々の雑感を記します。頭の整理と長い文章を書く練習です。

【駄文】大学を卒業した

 

 

自分のために書いた、超個人的な雑感です。

 

先日、都内の某マンモス大学を卒業した。思い描いていたような華々しい大学生活では決してなかった。でも、それなりに満足している。それだけのことだけれど、大学生活について少し書こうと思う。

 

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高校時代、英語がすごく得意だった。自分でも努力したと思うし、それが試験の成績として返ってくるのでとても自信になった。努力すれば結果は必ず返ってくるんだ、そして、その結果は、大抵の他人よりも優れたものであるのが当たり前だった。

 

でも、大学に入ったらその自信は砕け散るのね。

ちょとやそっとの努力では絶対に勝てないような人たち、を初めて見た。しかもそういう人たちが大勢いた、というのが衝撃だった。英語だけじゃない。専攻の経済学も、第二外国語も、サークルも…すべてを器用にこなす人もいたし、一点突破で何かに物凄く秀でた人もいたし、とにかく皆才能も自信も溢れているように見えて、私はあっという間に溺れた。

自分の世界はなんて狭かったのだろうと思ったし、中途半端な努力では上に挙げた人々と同じ土俵に立つこともできないだろう、と分かっているのに何も出来ずに時間だけが過ぎていくのがもどかしかった。

 

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それからは一人でもがいて、とても苦しかった。

 

留学してみたり、途中放棄しかけた経済学をもう一度ちゃんとやろうと思って数学のゼミや基礎のクラスを取り直したり、いろいろあった。

経済学に関しては愛憎これ極まれり、といった感じで、学部に入ったころは理解できなさすぎて成績が底辺なのだが、少しずつ氷を融かすように、沢山の人の力を借りてちゃんと愛せるようになったと思う。学問を愛せるように、ってなんか変な表現だけど。

最後まで経済学にこだわったのは、ただ「出来ない自分」が受け入れがたく、情けなく思ったからなのだけど、それはつまり前述したような「すげー奴ら」と自分を比較し、彼らの才能を羨み、持たざる者として存在する自分を否定したかったからなのだと思う。

 

けれど学問とは不思議なもので、(語る資格が無いのは重々承知しているが、)次第に他人が云々よりも、自分が知らないことに対する焦りでいっぱいになり、それを過ぎると、焦りがある一方で「ここは前分からなかったところだけれど、今はわかる」というささやかな自信がついてきたのは大きな発見だった。

 

学生最後の1年間は、高校の時に経済学を志した原点となる問題意識に立ち返り、学生読書室に引きこもる日々を続けた。何をすればよいか分からないところから始めたため、自分の知識・研究のレベルの低さに帰り道で涙したことも一度や二度ではないが、次第に学問の大きな渦の中で、自分のやりたいことが明確に定義されていき、自分の理解の境界が見えるようになるのがたまらなく苦しく楽しかった。

そうして迎えた最後は、自分の歩みに対する嬉しさ、それでもまだ知るべきことが山とあることへの焦り、そしてすげー奴らへの尊敬で、やり場のなかった感情を収めることができたと思う。

(ちなみに、ささやかに論文の内容を作るところまでは終わったのだが、恥ずかしながら執筆する方が間に合わなかった。卒論は諸事情で昨年提出済みなので今年は書かずとも卒業してしまった。やらなくて良いと言えば良いのだが、気持ち悪いので社会人になってからもしばらく取り組むことになりそうだ。)

 

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きっと、到底かなわないような「すげー奴ら」に沢山会うというのは私の人生のどこかに必要で、それを大学という場で経験できたことは幸せだったのだと考えている。

きっと、世界のすべてを知ることはできないし、世界の未知への焦りは一生続く。だから、自分の進歩をちゃんと認識できるようになったこと、その一方で世界の広さに謙虚になることは、大学生活で得た大きな成果だと思う。しかし、それと同じくらいに、私は「何者にもなれなさそうである」という事実を受け止める必要があったのだ。私はふつうの(それどころか、もしかしたら普通よりも若干劣った)人間だった。今までは世界が狭かったからそれが分からなかったけれど。

これについてはまだケリがつき切っていない感じがしなくもないが、とりあえず私は自分が思ったほど優秀ではなかったという事実を直視しようと思う。

私はとても頭がいいわけではないし、何か特別秀でたものを持っているわけでもない。でも、自分を必要以上に卑下することなくこの認識を持つことが出来たなら、私はまた”世界対私”の関係の中で自分の世界の境界を広げるべく、謙虚に努力できる気がする。

 

***

明日からは社会人になる。

社会、もしくは世界というものはきっと、大学などとは比べ物にならないほど広く、果てしないのだと思う。

きっと、これからも私はたくさんの「すげー奴ら」に出会い、(良い意味でも悪い意味でも)世界の広さに圧倒される日々が待っているのだろう。

上に書いたように、「(うまくいかなかったけど)私は頑張った」だなんてここに書き捨てて、過去は過去としてしまっておこうと思う。過去を振り返り、それにすがって生きるには私は若すぎる。

 

 

明日からは謙虚に新しい世界に挑戦することを銘とし、青臭いことを承知でアジカンの歌詞を引用して学生最後の日にピリオドを打とうと思う。

 

 此処に在ること

此処で見ること

そのすべては誰のもの

塞ぎ込むより

まだ見たことのないような景色があるよ

(中略)

 

路面 湿った雨のにおい

嗅覚で そう 未来を知る

電線の共鳴 風の道

聴覚で そう 現在に出会うよ

 

揺れる世界を越える情熱を

一瞬の邂逅を

告げるサヨナラを

永遠の漂流を

夢と現実を

旅の果てに僕は探すよ いつも

(ASIAN KANG-FU GENERATION トラベログ)