芋けんぴ農場

自称芋けんぴソムリエが徒然なるままに感想や日々の雑感を記します。頭の整理と長い文章を書く練習です。

攻殻機動隊 Stand Alone Complex

Warning! ネタバレを含みます

 

全26話あるアニメ第一期から「笑い男事件」をうまい具合に抜き出して、140分にまとめてくれたありがたい映画。個人的にはアニメだと伏線を忘れてしまったりするので、こういう形のほうが好き。

 

私は羽海野チカさんのファンなんだけれど、短編集の「スピカ」に『バトーを待ちながら』っていう随筆のようなもの(漫画だけど)があって、それを読んでからずっと観たいなあと思ってた。それで、最初にGhost in the shellを借りて見たのだけど、設定を理解することに時間がかかってしまってよく分からず、アニメシリーズ(とはいっても要約版だけどね)を見始めたという次第。

 

めちゃくちゃ簡略化すると、高度に情報技術が発達した時代(西暦2030年)において、情報技術を駆使した犯罪に対処するための秘密組織・公安9課の活躍を描いた話。

体の一部をメカにすることが普及しており、またそれによって電脳硬化症なる病が発生することが確認されている。その病に効能のあるワクチンがあるのだけれど、それではなく効果が低いマイクロマシンと呼ばれる機器を使うよう政治的な力が働いていた。それに対し、「笑い男」なる人物がマイクロマシン製造会社の社長を脅迫し、効能の真実についてマスコミに公表するよう迫った。その後、複数の「笑い男」を語る人物による犯行が確認され、もとの「笑い男」の意図とは離れた事件も散見された。そこで再び、元の「笑い男」が真実の公表に向けて動き、公安9課はその捜査に関わってゆく。

 

さて、物語の冒頭部で重要な説明がある。

あらゆるネットが眼根を巡らせ

光や電子となった意思を

ある一方向に向かわせたとしても

“孤人”が

複合体としての“個”になる程には

情報化されていない時代・・・

 「笑い男事件」の核心は、バラバラの個人(=孤人)が「並列化された情報」を得ることでそれぞれに行動を取るという点にある。並列化というのは、コンピュータに同時に複数の演算処理を行わせるようにすることで効率を上げる作業のこと、らしい。(Wikipediaより勝手に解釈)

一連の脅迫事件の主犯である少年・アオイは、マイクロマシンが普及する不当性を偶然知ると、その情報を共有することを使命とした。そして、その情報が渡ったそれぞれの場所では並列化、即ち、個人としての行動が誘発されていくことになった。しかし、その行動は「笑い男」のコピーであり、かつ個人の意志が見えないものであった。アオイの言葉を借りれば、『オリジナルの不在が、オリジナル無きコピーを作り出してしまう』ことになったのだ。

 

この「オリジナル無きコピー」は、自我のような欲求を伴っていないものと描写されている。そして、このオリジナル無きコピーは、情報処理者のコンテクストの欠如という特質から生まれるものだと言っているように思える。

例えば、ツイッターで過激な言動をしたツイートが炎上しているけれども、そういうツイートを見て様々な立場の人が様々に行動する。行動するということは、情報が処理されるということ。つまり並列化されている。SACで描かれている世界と全く同じという訳ではないけれど、これはまさに情報が『動機なき他者の無意識に、或いは動機ある他者の意思に内包され』ている状態なんじゃないか。そして、どちらにせよ「複合体としての個」になることはできず、「孤人」として「個」を失っていくのだ。

ここで言う「個」とは、本能的な欲求や自我、感情に強く結びついた自我のようなものに基づいた状態の人間を指すのだと思う。それまでの人生の文脈により、その時々でしたいこと、欲しいものを考える。それがコンテクストのある個人である。しかし、では、何故それまで何の関わりも無い人間の情報だけで行動を起こそうと思うのか。それは、ある種の承認欲求なのではないだろうか。先ほどのツイートの例にもどるなら、過激な言動をする人を批判するというある種の共通グループの輪に入りたい。自分も一つの情報としては絶対ではなく相対的な存在でしかないことがわかるから尚更、つながりを求めて、たとえ自分の人生のコンテクストと全く関係無いとわかっていても「コピー」を行うのではないだろうか。

だからこそ、好奇心という欲求を掻き立てるものが個の喪失への解決策として提示されたのだ。欲求は自分の中で絶対的なものであるがゆえに、情報の並列化すらも欲求のなかに組み込む力を持つものだからだ。こうして、絶対的なものを手に入れたものが「個」として存在するということではなかろうか。

 

もちろん、こんなに情報化(電脳化?)が進む時代はまだまだ先なわけで、すべてを現代に当てはめることはできない。けれども、確かに全く知らない人の情報が手に入る時代であることには変わりはなく、自分もツイッターフェイスブック上では一つの相対化されたコンテンツに過ぎないように思う。(フェイスブックで散見されるリア充的な投稿は、フォロワーよりも相対的に優っていることを確認する為なのかなと考えたりもする。)

情報に惑わされるな、というのは最早不可能なのかもしれない。それでも、意識的にやりたいこと、大切にしたいことにを大事にすることは頑張れるかもね。SACの本題からはずれるけど、見栄を張ったり周囲の喧騒にたじろいでいる場合ではないってことなのかな。

 

こんなに長い文をいきなり書いちゃう程度にははまりました笑 多分、少しずつ全シリーズコンプリートするんだろうな。 この作品が作られたのが12年前というのが俄かには信じがたい。。。

正直、アニメ映画は複雑で難しいことは言わないだろうってちょっと思ってましたごめんなさい。ストーリーの緻密さも然ることながら、娯楽としても見応え充分。

よって☆☆☆☆